kome_niku_sio's blog

アニメの話をします。ツインテールとピンク髪が大好きです。

こめにくしおが書いてます。

3DCGステージでの水中表現と映画ポルプリでの進化について

3DCGで作られたステージって、
良いよな...。

皆さんこんにちは。3DCG大好き、こめにくしおです。

この記事で言う「ステージ」は、場所としての意味ではなく、空間・音・演技を含めたショー全てを表しています。

劇場版「ポールプリンセス‼」11/23~公開中!

この記事の目的

劇場版「ポールプリンセス‼」が公開されて3DCGステージへの注目が高まっている今、過去に作られた素晴らしい3DCGステージを紹介しつつ、そこから見て「ポールプリンセス‼」のステージがどうすごいのか、それを語りたい。

今回は
「水中世界の表現」に注目する。

過去のステージで水中世界はどのように表現されてきたか

アイカツ!「Poppin' Bubbles」

早速だがこれを見てほしい。

待って!!

本音で言うとYoutubeで上がっているゲーム版じゃなくてアニメ版を見てほしい。ちょうど120話で数字的にもキリがいいから見やすいと思う。
この回はステージとストーリーがほぼ無関係だからステージだけ見ても大丈夫。20:00~くらいからステージが始まるので見て!待ってるから!

animestore.docomo.ne.jp


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わかるよ。
君の頬には今、清らかな涙が一筋伝っている。

水中世界の美しさ、泳ぎまでも表現として成立させる自由さ、歌詞で表現される少女の純真さ、透き通るような歌声、ダンスの可愛らしさ...、これは出る、涙が。綺麗な涙が。

少しだけアイカツ!のステージについて語る。アイカツ!のステージには少女向けアイドルアニメでよく使われる丸型の舞台での演技のほかに、ファッションショーのようなモデルのウォーキングをダンスとして扱うものがある。この特性を活かして泳ぎをダンスに組み込んだり、アニメ版ではバレエのステップを飛び込みとして扱っている。
水中世界の表現とはいっても、アニメでは実際に水中に行ってそこでキャラクターを踊らせることもできる。このステージはそのことを最も上手く組み込んだ一例だ。

新章アイマリンプロジェクト「The Boon!」

アニメだから水中に行って踊れるとは言ったが、本当にそれをやっているステージは実は少ない。踊っているキャラクターは人間であることが多く、人間は水中では踊れないからである。人魚がアイドルをやるアニメもあるのだが、人魚のモーションアクター(映像を作るために現実で踊ってくれる人)がいない以上、人魚の3DCGステージは実現しえない。少女向けアイドルアニメの傾向として、ステージをやる場所は現実と異なる空間として、非現実的なこともできる夢の空間として扱っていることが多い。しかし一般向けの作品ではこれも使われない。これは3DCGステージの強みをリアルさに見出していることが大きいと思う。
そこで一般向けの作品では、疑似的な水中世界にキャラクターがいるように描くことがある。この動画を見てほしい。

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わかるよ。
映像のすごさに興奮してリピート再生が止まんなかったんだろ?

ステージ背景の作りこみ、すごすぎない?ダンスの動き、きめ細やかすぎない?声、可愛すぎない?

豊富な資金を3DCGステージに投入してくれるSANYOに特大の感謝。

ループ再生しながらでいいので、記事を読み進めてほしい。
スマホで読んでいる人には音楽サブスクを置いておくので、聞きながら読み進めてほしい。
nex-tone.link

このMVではインターネットを水中世界のようにとらえることで、ステージに独特な雰囲気を与えている。詳しく説明する前に、アイマリンちゃんは「海物語」のキャラクターである「マリンちゃん」に近未来的な要素を取り入れたキャラクターであることを知ってほしい。ポイントは、海に由来していて、近未来的な要素を取り込んでいることである。
アイマリンちゃんはいろいろな場所に移動しながら歌い続ける。言い換えると、アイマリンちゃんは、魚が海を渡るように、いろいろ場所からネットに繋がれたインターフェイスを介して空間を渡っている。つまり、アイマリンちゃんはインターネットという海を泳ぎ、僕たちの前に現れているのだ。
アイマリンちゃんについてさらに詳しく知りたい人は、クリエイター様たちのインタビュー記事を読んでほしい。
kai-you.net


MV中にある魚のホログラムのような表現は、他のアイドルのステージでも使われている。(※1)これ以外にも1つ、「The Boon!」で行われていることで他のアイドルのステージでも採用されがちな要素がある。フラダンスのような、腕や腰を使った揺れる動きである。水の流れを表せるこの表現はいろいろなところでよく使われている。この独特な動きも、水中世界を表現するステージの面白さだ。

このように、様々な工夫を積み重ねて実現しているのが一般アニメにおける水中世界の表現である。

ワールドダイスター「Decide」

現実での実現の可能性を持たせながら、水中世界を表現しきったステージがある。それがワールドダイスター「Decide」だ。
これを見てほしい。


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大丈夫?
まだ正気を保てているか?
込められたメッセージを食らって
ぶっ倒れていないか?


回復用に可愛いカトリナちゃんの画像をどうぞ。

コロンビア

水中世界とそこにいる人魚の表現がすごいのは見た通り。その表現に使われている要素を1つ1つ分解していく。

  • 照明 ... カトリナがいる中央には日差しが差し込んだようなスポットライトを当て、それ以外の部分は青く暗く照らすことで、水底を表現し、天井部分に水面に太陽が映るような照明を当てることで水面も表現している。
  • 泡  ... 海底から湧き上がる気泡(※2)を表していて、これも水底の表現の一部。
  • 魚影 ... 天井などに投影することで水中世界であることを強調している。
  • 人魚 ... カトリナ自身。最初の真上からの画角から水面に登っていくまで一度も足を見せないことで、人魚としての自分を表現している。

驚くべきは、これらすべてが現実で再現可能な要素であることだ。他のステージにあるダンスなどの激しい動きはないものの、リアル感を持たせつつ水中世界を表現しきっている最高のステージだ。

過去ステージの紹介はここまでにするが、記事を書くにあたり調べた結果をまとめておくので、気になる人は確認してほしい。

note.com


劇場版「ポールプリンセス」が描く水中世界のステージ

映画で表現された内容について語る前に、今回注目する東坂ミオさんがどういったキャラクターなのかを知って欲しい。
というわけでこちらをどうぞ。

可愛らしさ全開なのに大人っぽさを感じてドキッとする瞬間...これ!!!

踊っているのは東坂ミオ。彼女がポールダンスに感じている可能性は、憧れのキャラクターを自分自身を通して表現すること。元々コスプレイヤーをやっていた彼女は、自分自身が行う表現としてキャラクターになりきることに強いこだわりを持っている。その対象となるキャラクターは一般的な人間ではなく、ステージの背景にもなっている魔法少女のような特別な存在だ。その存在を表現することが彼女の挑戦である。
作品という枠から見れば、現実にもあるコスプレイヤーという存在が、同じく現実にもあるポールダンスという技術を通じて、今まで夢の空間の中で描いていた特別な存在を表現する、そういう挑戦である。


で、実際映画ではどうだったかと言えば....

先にこの記事の間違いを1つ訂正させてください。
人魚のモーションアクターはいました。
人魚の3DCGステージが実現された瞬間を見た。

人魚になった東坂ミオ

ポールを掴めば人魚になれる。嘘みたいな本当のこと。ポールという支えを得ることで、下半身は重力から解放されてより自由な表現が可能になる。尾びれを使って踊ることもできるし、水中を上下に動き回ることだってできる。ポールダンスこそが夢の空間に行くためのカギとなる、嘘を本当にするための力になる...東坂ミオが感じた可能性はここに形になった。
舞台上の演出も素晴らしい。ここまでの全てがある、本当に。照明、泡はもちろんステージが進むにつれて変わっていく背景映像は楽曲のストーリーを強く印象付けるし、魚が飛び回り貝が踊っている様子は東坂ミオが感じている幸福を最大限祝福している。
何と言ってもすごいのは東坂ミオの茶目っ気というか可愛らしさというかかっこよさ...。足に魔法をかけるような動きだったり、ダンスについて歌いながら足をバタバタさせてみたり...とにかく見どころが多すぎる。明確な技術がありながら自分が表現したいことに妥協がない彼女の人柄に感動させられっぱなしだった。

これでまだ語りたいこと全部ではない。でもこの記事でずっとしてきた通り、ステージの魅力は結局は見ることでしか伝わらない。
劇場版「ポールプリンセス‼」のステージはもちろんこのステージ1つではない。同じくらいすごいステージがあと5つある。見なきゃ損だとは言わない。でも3DCGステージの偉大なる前進をその目に焼き付けたいとは思わないか?

つまり....











今すぐ劇場へ!!!


おわり。

(※1)
Aqours 2ndSingle 「恋になりたいAQUARIUM」Full - YouTube

(※2)
[グレートネイチャー] 海底から湧き上がる気泡群 神秘の水中世界!地中海 イタリア パナレア島 | NHK - YouTube

アニメ映画「駒田蒸留所へようこそ」感想文~「KOMA」(独楽)に込められた意味と駒田一家それぞれの思い~

 11/11(金)に劇場公開された映画「駒田蒸留所へようこそ」を見てきました。ばらばらだった家族が「KOMA」というウイスキーを中心にして一つに結束していく様子に、非常に感動しました。この記事では、僕が特に好きだった作中の要素である「KOMA」(独楽)に込められた意味と家族のウイスキーへの思いについて、作中で印象的だった言葉とともに振り返ろうと思います。映画の内容のネタバレを含みますので、ご注意ください。

かっこいいウイスキーの写真(Ichiro's Malt CHICHIBU EDITION 2022)(*1)

KOMA(独楽)に込められた願いと作中での意味

蒸留液を長時間樽で貯蔵し熟成することで原酒ができる(*2)

作中でも何度も表されている通り、「KOMA」とは独楽を表します。この独楽が回る様子がこの物語では非常に重要でした。始めは大きな円を描くように、勢いはあるけれど危なっかしく転がり、描く円がだんだん小さくなっていって、やがて1つの場所に留まり安定して回り続けます。人とウイスキーがこの駒のような静止状態にあり続けてほしいという気持ちが、この物語に込められた願いであり、込められたメッセージだったと僕は思います。子供時代、独楽で遊んだ時、投げた後の独楽を見つめる自分は「このままずっと転がり続けていてほしい」という気持ちでいました。それは当然回り続けられる長さを友達と競っていたからでもありますが、独楽は回っている状態が一番美しいから、という理由も間違いなくありました(実際独楽に色を塗って回転している時に見える模様を楽しんだりもしました)。そういった「ずっとこのままであってほしい」という気持ちが人や物に向けられる様子がこの物語ではよく描かれています。

「この先、ずっと続いていくといいな」

 作中冒頭の「KOMA」を駒田蒸留所のみんなで飲む場面、「KOMA」を作り上げた先代である琉生のおじいちゃんの言葉です。家族で出来上がった「KOMA」の味を確かめながら、息子に自分のウイスキー作りを受け継げたことを確かめながら、孫が頼れる次世代としてウイスキー作りへやる気を見せている様子を見ながら、言った言葉です。自分の手で始めた「KOMA」蒸留所の永遠を願う気持ちが表れています。この言葉はこの作品最初の願いであり、物語の中で度々現れる願い、「物事を続けていくこと」への自分自身、家族、他人、集団、モノへの願いの始まりです。続けていくことへの願いは、1つの場所に留まって転がり続ける独楽を見つめる時の思い、ずっとこのままであってほしいという思いと共通しています。

「いいんじゃないの、必死にやった結果、俺はこの道に出会えたんだから」

 この言葉は、上司が紆余曲折を経てライターの仕事についた経緯を知った主人公・光太郎が「それでよかったんですか」と質問をした時の上司からの答えです。話は変わりますが、社会人を始めてまだ数年の自分からすると、仕事って永遠に続くのじゃないかと感じています。実際には永遠じゃないことは百も承知ではあるんですが、自分が今までやってきた仕事を振り返ってそれがこれから数十年続く事実を考えると絶望するし、あまりの道の長さに永遠という大それた言葉を使いたくなってしまいます。そんな自分の視点から見て、物語の中で光太郎に共感できる要素がたくさんありました。まず、任せた仕事に大した説明もしてこなずに「肝心な部分はプロに任せればいいから」と雑な渡し方をしてくるくせして先方から怒られたらこっちに責を押し付けてくる上司が許せないです。僕も曖昧な指示だけを与えてくる割に指摘だけはガンガンしてくる先輩に腹が立ち衝突した過去があります。(衝突した結果、正論でボコボコのバキバキにされて僕の業務態度を叩き直されましたが...。)加えて言うと、ウイスキーにちょっと興味を持って居酒屋にあったものを頼んでみてそれをエピソードとして話してみたらなぜか空気が悪くなる、これも正直光太郎からしたらうまくいかない、向いてないと感じる要因になるという心の動きにすごく共感できます。僕も自分が知らない過去の出来事を元に自分の意見を否定されると嫌な気持ちになったことがあるし、その時は「それなら知ってるやつらだけでやっとけよ」という拗ねた気持ちも少し沸いてきました。このように、全く同じような出来事が起きているわけではないですが、光太郎と同じで、僕も仕事を続けていく自信が持てない瞬間があります。自分から見たとき、自分は仕事に向いているとは決して思わないし、続けていくことで大事を成す自信は常に持てていません。
 しかし、自分ではない客観的な視点から見たときに、「必死に取り組んで、続けていくこと」はある種の美しさを持っています。自論ですが、1つの物に真剣に向き合ってそれを続けていける人は、向き合う対象が何であってもかっこいいです。必死に取り組んで、その結果行きついた場所でやれることをまた必死にやり続けるというのが上司の仕事に対する向き合い方で、そのあり方が持つある種の美しさ・カッコよさがこの「お仕事アニメ」が与える仕事についてのメッセージだと感じました。それは作中にある「物事を続けていくこと」への願いをこの作品を見た人に向けた形で、つまり作品自体が持っている仕事に取り組む人への願いなんだと、僕は思います。

「お前までKOMAを諦めなきゃいけないのか」

 「物事を続けていくこと」には内的な障害だけじゃなくて、外的な障害も多数あります。この言葉は、原酒を貯蔵・熟成している建物が燃えてしまい琉生が「KOMA」作りと駒田蒸留所を諦めなければならないほど追いつめられたときに、ベテラン職員である努から出た言葉です。何かを辞めたり諦めた人は作中に何度も出てきます。地震をきっかけとして「KOMA」作りを諦めてしまった琉生の父親、蒸留所を続けていくために美大を辞めた琉生、高校生から続けていたバンドを辞めてしまった光太郎の友人。ここまでで何度も書いた通りこの作品は「物事を続けていくこと」への願いを肯定的に描いた作品ですが、辞めたり諦めたりすることを否定的に書いている作品ではありません。光太郎の友人は、バンドを続けてきたおかげで、辞めてしまった後もそこで得た繋がりを活かして仕事で活躍できています。琉生美大を辞める代わりに蒸留所の社長として活躍し、絵の道を志した過去もテイスティングノートの記録という形で活かされて、その絵は光太郎の協力により「KOMA」のための原酒集めに大きく貢献しました。琉生の父親は、ウイスキー作りを諦めることで短期間ではあるものの蒸留所を守り、琉生の兄・圭に自分のテイスティングノートを託すことで、結果的に「KOMA」作りを受け継げました。これらに共通しているのは、辞めたことで得るものがあったということと、人との繋がりによって「続けてきたこと」が特別な価値を持ったということです。琉生が諦めなければならないほど追いつめられたこの局面でまた、「続けてきたこと」が価値を持ちます。従業員が、琉生の父親がウイスキー作りを諦めてまで守った従業員たちが、琉生を励ますのです。駒田蒸留所が駒田蒸留所でなくなってしまうのが嫌だ、「KOMA」の復活を諦めたくない、というのが従業員たちの思いでした。これは琉生の祖父の願いから始まった「物事を続けていくこと」の自分自身、家族、他人、集団、モノへの願いです。そうした思いを受けて琉生は一度は諦めかけた「KOMA」作りへの夢と蒸留所継続の意思を取り戻しました。
 辞めることや諦めることとまた始めることは、独楽に通じています。回る独楽に永遠を願えど、いつかは止まってしまう。子供時代に遊んでいた独楽もそうで、投げては止まり、投げては止まりの繰り返しでした。でも、止まってしまった独楽をもう一度回そうとするとき、これまでの経験をもとにもっと上手く回してできるだけ長く回るようにする。それが独楽という遊びの醍醐味であり、キャラクター達の在り方に投影されています。原酒からウイスキーを作るときもそうで、何度も繰り返しトライして、だんだん理想の味に近づけていく。独楽は伝統工芸であるがゆえに、継承の要素も持っていて(実際独楽で遊ぶ場面では琉生・父親の三人が描かれている)、それがテイスティングノートの継承と繋がっている。始めて、続けて、立ち止まる時もあって、でもまた始めたり誰かに託したりする。こういったあり方を物語の芯に置いていろいろなキャラクターに投影しているのがこの作品の凄いところで美しいところだと僕は思います。
 作品の最後で、琉生は「今回の「KOMA」は未来への約束だ」と言います。「KOMA」復活への物語はたくさんの人に支えられてきた道でした。「KOMA」のファンである光太郎の上司、原酒集めに協力してくれる他の蒸留所の人たち、クラウドファンディングで資金提供してくれた人たち、かつて交換した原酒を渡してくれた湖国酒造の社長、駒田蒸留所の従業員たち、光太郎と駒田一家。その人たちの心にあったのは「KOMA」を取り戻したいという気持ち、復活した「KOMA」を続けていってほしいという願いでした。そうした「願い」に「約束」で答える...素敵すぎると思いませんか?僕は思います。

駒田一家それぞれの蒸留所・ウイスキー・家族への思い

「どこから始めたとしても、なりたい姿さえわかっていればたどり着ける」

 これは、ウイスキー大手である桜盛酒造に入社するもののウイスキー生産には携われず営業職として働いている琉生の兄・圭の言葉です。琉生に駒田蒸留所の買収を持ちかける、いわゆる敵キャラの立ち位置の人物です。地震で大きな被害を受けたがゆえにウイスキー作りを諦めた父親に反発して家を飛び出た経緯もあり、その行動は琉生から見ると裏切り者に見えていました。ただ、は本当は父親の決断を尊重していて、「せめて従業員だけでも守りたい」と買収話を持ちかけてきたことがのちに明らかになります。最終的には従業員も駒田蒸留所が駒田蒸留所のままであることを望んでいるのを知り、買収話を取り下げました。
 は周囲から誤解されるキャラクターとして描かれているのですが、彼もまた琉生を誤解していました。琉生が美術を志していた過去を知っていたがゆえに、彼女がウイスキー作りに情熱や愛情をもって取り組んでいることを見抜けていなかったのです。彼が妹に対して頑なだったのは、自分が継ぐはずだった蒸留所を琉生に美術を諦めさせてまで継がせてしまった、という負い目もありました。そういった誤解や負い目が光太郎の記事によって解かれていきます。光太郎が桜盛酒造に記事についての謝罪に行ったときに、記事はほとんどが琉生自身の力による成果だと知り、嬉しそうにするが、僕はすごく好きです。
 「なりたい姿さえ見えていれば、どこから始めたとしてもたどり着ける」という言葉は、不器用ながらも真っすぐなの性格をよく表した言葉です。同時に、ウイスキー作りに通じるところがあります。作中でも描かれている通り、ウイスキーを作るにはたくさんの原酒から調合に使う原酒を選ぶところから始まり、組み合わせに工夫を重ねて作り上げていきます。原酒は作るたびに毎回違う味になります。つまり、スタート地点(原酒)が違ってもなりたい姿(「KOMA」)さえ分かっていればたどり着ける、という意味に繋がってきます。だからこの言葉は、最後に家族で「KOMA」を作り上げる場面につながる重要な言葉だと考えています。それをが言ってくれたのが、僕はすごく嬉しいです。

「お父さんはあなたを憎んでいると思った」

 これは、初めて買収話を持ち掛けた日以来母親に会っていなかったが父親から託されたテイスティングノートを持って実家を訪れる場面で、母親・澪緒に向かって言った言葉です。澪緒さんはお酒があまり強くない人で、経理の仕事をして夫の仕事を支えていました。琉生が蒸留所の社長になってからは、家で仕事を続けています。が持ちかけた買収話を最初に断ったのは、澪緒さんです。僕は買収話を断る澪緒さんを見たとき、なぜ断るのかが全く分かりませんでした。琉生とは違って、彼女はが駒田蒸留所の従業員を守りたいがゆえに買収の提案をしてきたことがわかるはずで、夫が従業員と蒸留所を守るためにウイスキー作りを諦めた事情も理解していたので、それだけ考えると、買収話を断る理由はないと考えていました。でも、澪緒さんがしたを呼び戻す提案を夫が断ったときに、夫が息子を憎んでいるんだと思ったのであれば、話は全く変わってきて、全てが腑に落ちます。夫がウイスキー作りを諦めてまで駒田蒸留所と従業員を守るために奮闘した数年間を寄り添い続けた澪緒さんからすれば、その夫が憎んでいたはずの相手にだけは絶対に駒田蒸留所を渡せなかったという気持ちがわかるからです。澪緒さんが息子を憎んではいないことは呼び戻す提案からも明らかで、極めて複雑な心情が推測できます。その心情を、蒸留所を1人で背負う琉生に伝えられるわけもなく、澪緒さんの話をすることすらできなくなっていました。父親がに託したノートから、その憎しみが誤解だったという真実がわかって、本当に良かったです。
 夫の気持ちに対する誤解が解けたあと、澪緒さんは「あなたたちが「KOMA」を作るというのであれば、私から何も言うことはない」と言ってノートをに返し、送り出します。ここの「何も言うことはない」は2つの意味を持っていて、子供たちを信じて送り出すという喜びと、自分はお酒が強くなくてウイスキーのことがわからないから何も言えないという寂しさがありました。しかし、琉生たちはお酒に詳しくない澪緒さんを蒸留所へ呼び、ウイスキーの試飲を頼みます。そのウイスキーを飲んだ母親の笑顔を見て、琉生たちは「KOMA」の完成を確信します。それは、父親が残したテイスティングノートに「母さんの笑顔を見て、今年もいい出来になったと確信する」と書かれていたからでした。澪緒さんは夫を支えられず死なせてしまったこと、生きている間もずっと夫のお酒作りを手伝えなかったことを後悔していました。しかしそれは誤解で、父親はウイスキー作りの最も重要な最後の部分を澪緒さんに託していました。これらの真実が分かってから映画を見返すと、冒頭の場面で琉生の父親は澪緒さんの笑顔を見て「いい出来だ」って言っているのが確認できます。しかも自分で飲む前に澪緒さんの顔を見て出来を確かめています。その後に同じ場面が描かれたときでも、父親はずっと澪緒さんの方を向いて座っているし、ちらちらと様子を伺っています。本当に...夫婦の絆が素敵すぎて...大好きです。

「お母さん、KOMAができたよ」

 これは、完成した「KOMA」を飲んだ母親の笑顔を見た琉生の言葉です。
 最初、琉生は23歳で蒸留所の社長になってから1年で新しいウイスキーを作りヒットさせた才能あふれる人物として現れます。蒸留所への取材でも、他の蒸留所の人に褒められるほどの知識やウイスキー作りへの情熱を見せています。しかし一方で、ウイスキーを語るときは楽しそうな姿を見せたり、が勤める桜盛酒造の名前を出されるのを嫌がってムッとしたり、幼馴染を愛称で呼んでしまったり、年相応の一面も見せていました。特に歳が近い光太郎には不満を感じる瞬間が多く、彼に秘密を暴かれてしまったのがきっかけで、それが爆発してしまいます。個人的には、光太郎にも琉生にも共感できるので、この喧嘩が大好きです。光太郎は掃除1つまともにできないくせに不満気なのが腹が立つし、琉生美大を辞めて社長になってから一年で成功している物語性と完璧さゆえに自分の近くにいれば嫌になると思います。喧嘩によって本音をぶつけたことが、光太郎琉生に共感を抱き人柄を知っていくきっかけになったように、僕の中にも琉生のへ共感を生んだのが、この喧嘩が好きな理由です。
 琉生が「KOMA」を復活させようとしていたのは、冒頭の場面で駒田一家のみんな・琉生が家族のように感じている駒田蒸留所の従業員たちとともに「KOMA」を囲んで飲んだあの時間、それそのものを取り戻したかったからでした。琉生にとってその時間は、家族みんなが1つになり幸せを感じている時間であり、自分が楽しく絵を描いている時間でもありました。美大でのスケッチで他人の絵が鮮やかに見えてしまう場面や琉生がそのスケッチで使っていたキャンバスを黒塗りにしてしまったことからも分かる通り、琉生美大で挫折を味わいました。そして押し入れにしまってある封を開けられていない段ボールと裏返しのキャンバスから、未だ自らの絵にちゃんと向き合えていないことがわかります。これは自らのテイスティングノートに描いた絵を秘密にしていたこと、その絵を見た光太郎から「さすが美大」と言われたときに不快感を表したこととも繋がっています。「KOMA」復活の過程で、父親から受け継いだノートをきっかけに、美大を辞めて地元に戻ってきて以来一度も開けていなかった段ボールを開きました。そのスケッチブックには、「KOMA」を飲んだ母親の笑顔とその笑顔を見て幸せそうな父親が描かれていました。「KOMA」復活へ最後の要素であった母親の笑顔をきっかけとして、あの時間に自分が描いた絵に再び巡り合えたのです。琉生は自分が楽しく絵を描いている時間、つまり、絵に対する気持ちを取り戻せたのだと思います。「お母さん、KOMAができたよ」という言葉は、「取り戻せたよ」という意味でもあり、琉生の蒸留所を継ぐ決断を真に肯定する言葉に思えて、大好きです。

おわりに

ここまで読んでいただきありがとうございました。この記事に書きたかった感想は全て書ききれましたが、作品としてはまだまだ語り足りない部分が多いです。トモちゃんの話も全然できてないし...。そのあたりはX(旧Twitter)だったり、風呂入ってるときに天井に向かってつぶやいたりして発散しようかな。お酒を飲んで語らせてくれる、もしくは語りを聞かせてくれる方がいればご連絡ください。なお当方は下戸です(お酒は好きです)。下戸にも優しいウイスキーアニメで良かったです。
この記事を書くにあたり、友人に頼んで写真を提供してもらいました。感謝。サムネにも使ってるあのかっこいい写真はウイスキーが大好きな友人Aからもらった写真です。頭と締めを統一する形で、お酒とタバコが大好きな友人Bからもらった写真を載せてこの記事を終わりにします。重ねてになりますが、ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。

かっこいいウイスキーの写真2(*3)


*1 提供:みあ(@_MEER_KATT_)
*2 鹿児島県南さつま市 マルス津貫蒸留所で撮影
*3 提供:鶏肉(@rekishi_tori)

進化するアニソンアーティスト「鈴木このみ」の今日と明日とその続き

こんにちは。鈴木このみ大好きオタク、こめにくしおです。鈴木このみさんといえば全力疾走で進化が止まらないアーティストです。ただ現在彼女は喉の手術によりアーティスト活動休養中であり、立ち止まってくれている(これは嘘で歌えないなりに力を蓄えてるらしい、本当に凄い)ので、これを機に今まで僕が見てきた鈴木このみについて語りたいと思います。ついでに僕自身の自慢というか、得難い体験をさせていただいているという自分語りも挟んでいきます。

ちなみに「進化するアニソンアーティスト」は彼女が掲げているものであり僕が言い出したことではないです。一応。

鈴木このみとはどんなアーティストか

彼女を言い表す時に一番適切なのは間違いなく「歌うことが好きな人」です。歌っている時の彼女は本当に輝いていて、それがアーティストとして一番の魅力だと言えます。そして非常に力のあるアーティストであり、感情が歌に乗る時の破壊力は無敵といって差し支えないレベルです。

一方で彼女は感情を歌にのせるのがちょっと下手だという印象もあります。演技が下手なんですよ、そこにないものはのせられないのが彼女の弱みです。しかし、演技が下手というのは彼女の内面の魅力でもある誠実さに繋がってくる、決して欠かせない大事な要素です。鈴木このみオタク初期の僕はこんな誠実な人間がどうやって生き残るんだと考えていましたが、彼女ははちゃめちゃな努力家であるため、誠実さはむしろ武器になりえるというのが最近の見解です。



前置きが長くなりました。ここからは僕が鈴木このみにハマったきっかけとなった曲である「Redo」から最新の楽曲である「Theater of Life」までを時系列順に語りながら、鈴木このみの進化の軌跡を追っていきます。

Redo」&「メビウス


鈴木このみ「Redo」(「Re:ゼロから始める異世界生活」OPテーマ)

「大丈夫 間違ってない ただ「真実」は楽じゃない あなたしか 知らないのが あなた」
(「メビウス」歌詞より引用)

Redo」はTVアニメ「Reゼロから始める異世界生活」OPテーマであり、「メビウス」はそのカップリング楽曲です。この二曲は迷いの中にある意志を歌う曲です。その意志とは他者の理解を放棄してでも自分の中にあるものを掴もうとする意志です。

特に「メビウス」はライブツアー「Bring it!」のキーとなった楽曲でした。鈴木このみ初のオールスタンディングツアーとして開催されたこのライブは、鈴木このみの休憩がほぼなくぶっ続けで歌い続ける驚異の構成をとります。このぶっ続けの構成の中で流れを切るような形で現れる「メビウス」は鈴木このみの凝縮された叫びというか、当時の彼女の中の「真実」がここに宿っています

このことは僕が当時受けた印象を元に構成した妄想ですが、ライブ後の記事で鈴木このみ自身が「メビウス」がキー楽曲であることを明かしています。
lineblog.me


「Bring it!」は「かかってこい!」という意味であり、ファンを一度敵対存在としておいた上でぶつかりあう形をとるライブでした。そういうと随分乱暴な印象を受けることかと思いますが、ここで一度ぶつかっておいたからこその信頼関係が現在にも活きてきているのだと考えています。

Love is MY RAIL


鈴木このみ「Love is MY RAIL」(「アンジュ・ヴィエルジュ」OPテーマ)

「夢があってそれだけで 生きていけると 思いたいんだ 信じたいんだ Oh MY RAIL! ああ...ただひたすら信じていたい」
(「Love is MY RAIL」歌詞より引用)

TVアニメ「アンジュ・ヴィエルジュ」OPテーマ楽曲です。「メビウス」の中にあった迷いに対する答えになりうる楽曲です。

この曲は自分の中にある歌が好きという気持ちを糧に前に進んで行こうという楽曲です。鈴木このみにとって歌が好きだという感情は非常に大切なものであり、だからこそ感情がのった素晴らしい楽曲に仕上がっています。特に引用部分の歌唱はいつ聞いても抜群で、これを歌っている時の鈴木このみは本当に最強の存在です。

メビウス」に対する答えになりうると言いましたが、この楽曲では「信じたい」という意志を歌っていてまだ完全に信じられているわけではありません。当時の鈴木このみに「今の私にぴったり」と言わしめたこの楽曲ですが、そういった意味での未熟さが含まれているということでもあったのでしょう。ただ、鈴木このみにとっての歌う理由としてこれ以上の答えはないという楽曲であることは今でも疑いようがなく、歌うたびに価値を増していく素晴らしい楽曲です。

「歌えば君がそこにいるから」


鈴木このみ「歌えばそこに君がいるから」(TVアニメ『LOST SONG』オープニング主題歌)Music Video TV size

「君がいるから ずっとそこにいて欲しいから 歌いたいよ」
(「歌えば君がそこにいるから」歌詞より引用)

TVアニメ「LOST SONG」OP主題歌です。この楽曲は鈴木このみが初めて作詞に挑戦した楽曲です。そして、歌う理由を歌う楽曲です。

Love is MY RAIL」においては歌う理由を自分の内側に見出した鈴木このみですが、この曲は「歌えば君がそこにいるから」です。外側なんですよ。聞いてくれる人がいるから歌うんですよ。歌を届けたい誰かがいるから歌うんですよ。これは本当にすごいんですよ。本当にすごい。凄すぎる。ファンとしてこんなに嬉しいことが他にありますか?

鈴木このみが歌う理由を外側に求めるようになるきっかけとなるこの楽曲でとっている姿勢は「君がいるから歌う」です。同じく歌う理由の楽曲である「Love is MY RAIL」の作詞者である畑亜貴さんとの共同作詞であることも特徴です。この楽曲は外に向けて踏み出す一歩なのですが、それゆえの臆病さというか、自分から相手に届けるということに終始しているようにも思えます。

ここからガチのマジの自慢をします。この曲が出た直後のツアーである「Magic Hour」東京公演は日比谷野外音楽堂というエモの頂点のような会場で開催されました。当時放送中であったTVアニメ「LOST SONG」はこのライブの一時間前にNetflixで8話が公開されました。8話はフィーニスの真実が明かされる話数です。わかりますか?僕は8話を見た直後に、日比谷野外音楽堂で、「歌えば君がそこにいるから」を聴いたんですよ。最高を超えた体験でした。アニソンアーティストのオタクかつアニメのオタクである本領発揮ですね。自慢終わりです。

「蒼の彼方」


鈴木このみ「蒼の彼方」(TVアニメ「ソラとウミのアイダ」エンディングテーマ)Music Video TV size

「昨日までの自分じゃきっと 気づくこともできなかった」
(「蒼の彼方」歌詞より引用)

TVアニメ「ソラとウミのアイダ」EDテーマ楽曲です。このMVの鈴木このみさん、はっきり言ってめちゃくちゃ可愛いです。この時期の僕は若干ながらガチ恋の姿勢を見せていました。懐かしいですね。

この曲の特徴といえばやはり疾走感と爽やかさですね。圧倒的打開の楽曲です。走り続ける以上は今日は昨日になり続けるし、明日は今日になり続ける。その意味で明日を見る楽曲です。

もう一つの特徴として、この楽曲では見つけたものが何かは語られないんですよ。見えない、見えないけれど前に進んでいく、そういう楽曲です。それをこれだけの明るさを持って歌うことができること自体が鈴木このみの進化なんだと思います。「メビウス」の頃の迷いというか、暗さみたいなものが全く感じられませんからね。

自慢に入ります。この楽曲は鈴木このみAsia Tour2018において中心となりました。ツアー最初の東京公演ではダブルアンコール合わせて二回「蒼の彼方」を歌っています。僕は「蒼の彼方」のことがめちゃくちゃに大好きであり、ツアー中にあったリリイベにおいて「この曲大好きすぎるので毎ライブ二回歌ってください」と言ったりもしました(鈴木このみさんのリアクションは微妙でした)。このツアーは国内は全通したのですが、特に岡山公演がはちゃめちゃに楽しくて、翌日のツアーファイナル博多公演がこれを越えるのは不可能なのではと思いながら足を運びました。わかりますか?博多公演でも二回目の「蒼の彼方」を歌うんですよ。岡山公演ははちゃめちゃに楽しかったはずなのに、それを越えていくんですよ。そして東京公演の再現をすることによってツアーとして完成するんですよ。最高なんだよな、「蒼の彼方」は。

「Humming Flight!」


鈴木このみ「Humming Flight!」(4th Album「Shake Up!」収録)

「もっと大きな夢をみようよ 叶ったらみんなで踊ろうよ」
(「Humming Flight!」歌詞より引用)

4thアルバム「Shake Up!」に収録された楽曲です。鈴木このみ作曲の、愉快な楽曲です。コールがめちゃくちゃ難しい楽曲であることも特徴です。

この曲はAsia Tour2019の中心となった楽曲です。マジでどうのればええねんみたいな楽曲なのですが、だからこそというか、ファンに対する信頼を感じるんですよ。この曲でみんなと楽しくなれる!という確信が鈴木このみにあって、それはファンに対する信頼なしには得られないものだと思うんです。「Bring it!」ではかかってこい!という意志を見せていた鈴木このみですが、彼女自身のライブという空間の捉え方が変わったこともこの楽曲に現れているのでしょうね。わたしが盛り上げる!という軸に加えてみんなで一緒に盛り上がろう!という要素が加わったような印象を受けます。

「Realize」


TVアニメ「Re:ゼロから始める異世界生活」2nd season OPテーマ「Realize」Music Video (Full size)

「選んだ未来に 僕は君といるんだよ 暖かい陽が差し込む 雪はいつかとけて花が咲くように 決して変わらない愛を信じてるよ」
(「Realize」歌詞より引用)

TVアニメ「Re:ゼロから始める異世界生活」2nd season OPテーマ楽曲です。Reゼロセカンドシーズンの内容であるリゼロ第四章は「選択」の章であり、この楽曲もその内容に合わせた内容になっています。

この楽曲に込められた鈴木このみのメッセージは「私は選んだ。だから君も選べ。」だと思っています。本人曰く「覚悟をのせる歌」です。「Redo」の時には存在しなかった、ここまでに得てきたものがあるからこその強さを感じる楽曲です。「決して変わらない愛を信じてるよ」はその強さを示す歌詞として素晴らしいですね。

この曲を聴いた時に僕が思ったのは「僕が鈴木このみを選んでるってことを伝えなければいけない」でした。ただこれはマジでスゴスギエピソードなんですが、鈴木このみはこの状況下でファンと会えなかったのにそのことをすでに掴んでいるんですよ。この楽曲について語る時に「みんなも私を選んでくれてこの場にいる」ということを言うんですよ。それって凄すぎません?凄すぎる。俺の推し、凄すぎるよ。

「Theater of Life」


TVアニメ『デカダンス』OPアニメ映像 鈴木このみ「Theater of Life」

「信じたボクと 信じたキミで 今語り始める 明日の続きを」
(「Theater of Life」歌詞より引用)

TVアニメ「デカダンス」OPテーマ楽曲です。今日と明日とその続きを歌う楽曲です。

鈴木このみはライブ大好きアーティストです。しかし今年はコロナのせいで毎年やっていたツアーもできず、現地に行けるライブは「Single Collection」のたった一度だけとなってしまいました。そんな状況もあり僕は「本当の色と 本当の音が 今語り始めた 明日の話」(「Theater of Life」歌詞より引用)で感動するつもりでした。ただ鈴木このみの気持ちが明確にこもっていると感じたのはこちらではなく、頭で引用した2番サビの歌詞の部分でした。

このライブの最後で鈴木このみは休養を発表します。その中で語ったことは「ずっと今と明日ことを考えながら走ってきたけれど、今はさらにその先を考えることができるようになった。だから手術する。」という内容でした。これ、本当に「信じたボクと 信じたキミで 今語り始める 明日の続きを」なんですよ。僕たちを信じた鈴木このみがいて、鈴木このみを信じる僕らがいて、だからこそ手術をすることで明日よりも先に進もうとしているんですよ。ファンとしてこんなに嬉しいことが他にありますか?2

鈴木このみ本当にすごい問題

「Single Collection」は一曲目が「蒼の彼方」で、最後の楽曲は「Love is MY RAIL」でした。一曲目のチョイスの理由は、「今なら本当に世界の果ての色が何色かわかる気がしたから」らしいです。なんなんだ、超越者の顔になってないか....?

おわりに

鈴木このみさん本当にありがとう。僕が新曲を一番好きだといつも言える、そんな存在でいてくれて本当にありがとう。


ここまで読んでいただきありがとうございました。鈴木このみのライブ、細かいことなんか考えなくたってマジで純粋に楽しいですよ。おすすめです。

2020年の振り返りと2021年の目標

絶対達成するぞ2021

2020年の振り返り

2020年の目標

2020年では二つの目標を立てていました。詳しくはこちらの記事をどうぞ。
kome-niku-sio.hatenablog.com

遅刻をしない

 達成率は3割くらいです。重要イベントに遅刻することは今年はなかったですが、ちょいちょいの遅刻やすっぽかしは頻発させてしまいました。特に終盤の期間は2020秋アニメが面白すぎたので現実に対する意識が薄すぎてあり得ないミスを連発しました。来年は現実と夢の時間のバランスを取りながらやっていきたいと思います。

女性声優のオタクを辞める

 達成率は8割...いや7割、もしくは6割くらいです。「女性声優というくくりで人を好きになるのをやめる」という意味では確実に達成しています。ですが、それでも好きになってしまった女性声優さんが何人かいるのと、元々めちゃくちゃ好きだった人たちが嫌いになれるはずもないので8割達成という感じです。これに関してはコロナの影響も大きかった気もします。イベントが全くなくなってしまったので。ただ女性声優ユニット「KiRaRe」が11月に発表した楽曲「We Remember」が強すぎて困惑しています。僕が忘れようとしてる中で「私たちは覚えている」っていうメッセージを投げてくるのはあまりに強力すぎると思いませんか?そんなこんなで、来年もこの目標は継続です。アニメオタクとして生きていく以上、声優との関係はどうしても切れないので折り合いを見つけてやっていこうと思います。

総括

 楽しかったですね、意外と。やはり2020秋アニメがめちゃくちゃ面白かったのが大きいです。アニメはコロナには負けん。鬼滅の刃の大大大ヒットもあって、アニメの今後はますます楽しみです。私生活がうまくいってたかと言えばまったくそうではないですが、そもそも僕は去年がクソすぎたので今年は本当に楽しかった年として記憶に残せそうです。いや〜去年はクソの塊でしたね。去年の総括ブログを見ればわかるんですけどタイトルからして「ポジティブに振り返る」って書いちゃってるんですよね。今見ると愉快な気持ちになります。今年はポジティブってつけなくても気分がいいので問題なし。お疲れ様でした。

2021年の目標

 去年の二大目標は達成できていないので継続するのですが、それ以外にも今年の目標を立てていこうと思います。

上手に自分を出す

 これめちゃくちゃ下手なんですよ。出すだけならできてるとは思うんですが、うまさが欠けていて理解の難しいものになってしまっている。そこを改善していけたらいいかなと思います。丁寧さを身に付けたいね。

大きな目標を立てすぎない

 去年は二大目標の他にたくさんの目標を立てていたのですが、ほとんどが達成できていない。大きく出過ぎでしたね。手の届くところから一歩一歩やっていこうと思います。例えば、歩きスマホをやめるとか。

現状に満足しない

 これだけいうと意識の高い目標に思えますが、そうでもないと思います。趣味にしても何にしても、新しいことを試す時の一瞬のふんばりに時間をかけないことを目標にします。どうせ僕は最初から上手にできるタイプの人間ではないので、挑戦と失敗を重ねながら積み上げていきます。



それでは、
今年もありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。

 

2020秋アニメ感想

2020秋、楽しかったね〜。
僕もいつも以上に楽しめました。
せっかくたくさんアニメを見たので、全話まとめた感想記事を書いていこうと思います。自分が見たアニメだけでもいいので、読んでくださると嬉しいです。

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アサルトリリィBOUQUET (続)一柳結梨はリリィになれたのか?

なれていました。
ごめんなさい。

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前記事
kome-niku-sio.hatenablog.com
 前記事で述べたことは、論拠は間違っていなかったと思うのですがピースが欠けていていました。結論については全く間違っていました。前記事を書いた時は僕自身が一柳結梨の死を受け止めることが全くできていなくて、彼女をなんとか守れないかと苦しみの上に書いた記事でした。ただリリィたちは僕の想像の何倍も強く気高く、僕もそれを見てようやく死を受け止められる気がしたので、今回の記事を書かせていただきます。

 この記事は、前記事を踏まえた上で、間違っていた部分、さらに理解が進んだ部分を書きます。よろしくお願いします。

海岸線がヒュージとリリィを区切る境界線である

 正確には「であった」ですね。一柳結梨によってこの境界線は破壊されます。ただこれは彼女がリリィになるためには間違いなく必要な行為でした。海から生まれた彼女は、この境界線を破壊することでしかリリィにはなりえませんでした。

 9話で境界線が破壊されてしまったことにより、リリィとヒュージの境はどんどん曖昧になっていきます。10話ではリリィ全員の力で海岸線を越え、12話ではヒュージがノインヴェルト戦術に関与するまでになってきます。

 アルトラ級ヒュージを倒すため海底に行く夢結と梨璃は完全に境界を越えてしまっていて、「リリィとヒュージを分かつものは何か」という問いが剥き出しになってしまいます。

 結果として、夢結と梨璃は海岸線のこちら側に戻ってくることができました。彼女たちは問いに打ち勝ち、リリィであり続けることができました。

一柳結梨はヒュージの敵ではない

 これは今でも間違いなかったと考えています。遺伝子情報がどうであろうと、彼女がヒュージから生まれたという事実は変わりません。これは事実としてのみでなく、一柳結梨本人の認識としてもそうなっています。一柳結梨は自身を「ヒュージでもリリィでもない存在として生まれた」として認識しています。本質的に孤独を感じているということです。だから彼女はヒュージを本能的には敵とみなすことができません。彼女にとってマギを操るヒュージを倒すことは「ヒュージだったかもしれない自分」を引き裂いてしまうことであり、自分という存在への否定になってしまいます。

 ただ、それでも彼女はリリィになりたかった。だからこそあそこで爆発に巻き込まれるんです。自身の半分を否定してでも、リリィになるためにチャームを振るうのです。結果としてそれが自分を滅ぼす選択であることを理解しながらも、リリィとして死ぬ選択をしたのです。

 前記事においては「ヒュージを倒した瞬間にヒュージの敵でなくなり同時にリリィでなくなる。そして戻って来れなくなる。」という話をしていましたが、これは順序が間違っていました。彼女はリリィとして死に、その結果としてリリィでなくなるのです。死によってリリィでなくなるという現象は彼女だけにではなく、全てのリリィに対して発生します。だからリリィの死とチャームを手放すということが同時に語られるんです。そして、だからこそ、死ぬ直前にリリィだった一柳結梨の生は、間違いなくリリィとしての生になるんです。

一柳結梨としての戦い

 死によって彼女はリリィでもヒュージでもない存在に戻りました。12話の名前表示になんの称号も与えられていないことがその証拠です。その彼女には何が残されていたでしょうか。そう、名前です。一柳梨璃が名付け、一柳隊、そして百合ヶ丘のリリィ全員が認めた「一柳結梨」という名前が、彼女の孤独を癒すのです。

 梨璃と夢結はアルトラ級ヒュージに挑み、結果として結梨がいるリリィとヒュージの境界線まで来てしまいました。そこで彼女は梨璃と夢結をみんなのいる場所まで送り返します。これは彼女の戦いです。一柳結梨が何よりも憧れた「リリィ」を守るための戦いなんです。リリィとヒュージを真に分かつものは何か、それを誰よりも知っている彼女だからできる戦いです。

何がリリィとヒュージを分かつのか

 正確な境界線は存在しないんだと思います。ただ、だからこそ、彼女たちはリリィであり続けようとするんだと思います。身嗜みをととのえ、ヒュージと戦う。そして他のリリィを愛し、他のリリィから愛されようとする。彼女たちがリリィであり続けようとする意志こそが、その営みこそが、自身と自身以外のものを憎む存在つまりヒュージになることを防ぎ、彼女たちをリリィたらしめるんだと思います。

 そしてそのことを踏まえると、誰よりもリリィであろうとした一柳結梨は同時に誰よりもリリィであったと言えるんだと思います。

おわりに

 ずいぶん遠回りをしてしまった気がします。でもアサルトリリィBOUQUETが遠回りをしてしまう僕のような人間に優しいアニメであったことを非常に嬉しく思います。ここまで読んでいただきありがとうございました。

アサルトリリィBOUQUET#11 記憶と傷痕と王泥喜法介

open.spotify.com

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そこだ!!

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第11話 真島百由と白井夢結の会話シーン 左腕を庇う白井夢結


白井夢結さん....
あなたはあの"ダインスレイフ"を見た時、
とっさに左腕をかばいましたね?






王泥喜法介要素はここで終わりです。

左腕をかばうことに何の意味があるのか

 まずはこのシーンの意味を探るために前後を辿っていきましょう。
 10話ラストで再び現れてしまった美鈴様の幻覚、夢結様はそれがかける言葉に苦しまされています。ただここで現れる美鈴様はあくまで幻覚であり、実際の美鈴様ではありません。夢結様もそれは理解しており、苦しみながらも抗うことができています。
 そんな中夢結様は百由様から連絡を受け、ダインスレイフや美鈴様のレアスキルについて話します。ここでのポイントとして、右腕を庇っていた夢結様はダインスレイフを見て庇う腕を左腕に切り替えます。
 まさにこのシーンの直後に、夢結様は作中初めて美鈴様との学園生活の記憶を見ます。つまり、庇う腕を右腕から左腕に切り替えたことが記憶を取り戻す鍵になったことが推理できます。

記憶と傷痕の結びつき

 「記憶」がアサルトリリィBOUQUETにおいてどのように扱われているか、それを確認するために第一話に戻りましょう。ヒュージを倒した後に夢結様と梨璃が二人で会話するシーンです。ここで梨璃は自身の傷跡について「これで今日のこと忘れずに済みそうです。」と言っています。つまり、アサルトリリィBOUQUETにおいて記憶と傷跡は結びつく概念であるということです。

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第1話 ヒュージにより右腕を傷つけられる一柳梨璃

 さらに記憶と傷痕が結びつく概念であることの証左を得るために、3話と6話を確認していきましょう。3話と6話はレストア、つまり傷痕のあるヒュージが襲来する話数でした。このレストアとの戦いにより夢結様は過去の記憶を取り戻してしまいルナティックトランサーを暴走させてしまいます。そのほかにも6話ヒュージが有していた傷ついたダインスレイフや3話ヒュージの大量のチャームも記憶と傷痕を結びつけるものです。

記憶と傷痕から考える結論

 ここまでで得た情報から記憶と傷痕という観点から推理すると、夢結様が右腕ではなく左腕の傷痕に触れたために、記憶を取り戻したという結論が得られます。
 しかし、これは矛盾しています。甲州撤退戦における夢結様の記憶では、夢結様は確かに右腕に傷痕を負っています。

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第3話 甲州撤退戦における夢結様と美鈴様の傷痕

 逆なんですよ。この記憶においては、左腕の傷痕は美鈴様のものであり右腕の傷痕が夢結様のものです。この矛盾と、夢結様が11話で左腕の傷痕に触れることで記憶を取り戻したことから考えられる結論は一つです。夢結様のこの記憶は美鈴様のレアスキルにより操作されたものだったんです。

 さらに推理を発展させていきます。右腕と左腕の傷痕が逆だったことで一つの可能性が生まれます。それは暴走した人間も逆だったという可能性です。これは夢結様の記憶における美鈴様が危うさを抱えていたことからも十分にありえることだと考えられます。

第6話 右腕の傷痕に触れた上での事態の解決

 傷痕が逆であるということに結びつくもう一つのシーンについても触れておきます。第6話における夢結様と梨璃は話し合うことで夢結様のルナティックトランサーを抑え、事態を解決に導きました。ただ、これは根本的な解決にならず、11話でまた問題が再浮上してしまいました。なぜこうなってしまったのでしょう?これを読み解くにはいくつか筋がありますが、記憶と傷痕という筋から見ていきましょう。画像をご覧ください。

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第6話 夢結様の右腕の傷痕に触れる梨璃

 このシーンにおいて、梨璃は右腕の傷痕に触れ夢結様を説き伏せます。つまり右腕の傷痕についていえば事態は綺麗に収まっていました。だが、結果として見当違いの傷痕についての事態だったために、後に問題が再浮上してくることにつながっていると考えられます。

アサルトリリィは視聴者を騙していたのか?

 夢結様の記憶はアサルトリリィBOUQUETの根幹ともいえるシーンでした。このシーンが嘘だったと言うことはつまり、アサルトリリィBOUQUETは視聴者に嘘をつき騙していたということなのでしょうか?
 第12話放送までは確かなことはほとんど言えません。ですが、一つだけ確かなことがあります。この「偽りの記憶で騙されていたのか」という疑念は夢結様が作中で持っているものと同一であるということです。つまり夢結様が第12話で幸せになることで、視聴者も幸せになれる可能性が非常に高いと言えます。アサルトリリィBOUQUET最終話、ここまでの積み重ねの先にどういう結論を出すのかを期待して待ちましょう。

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白井夢結さんの顔がめちゃくちゃ好きです

おわりに

 ここまで読んでいただきありがとうございました。
 この記事はフォロワーの方が言っていた「美鈴様が自らの傷によりチャームを再契約したという可能性」がきっかけとなって記憶と傷痕を結びつけることができたため書けた記事です。その方のみならず、アサルトリリィBOUQUET大好きフォロワーのみなさんのおかげで僕の視聴も極めて充実したものとなっています。ありがとうございます。


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