kome_niku_sio's blog

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アニメ映画「駒田蒸留所へようこそ」感想文~「KOMA」(独楽)に込められた意味と駒田一家それぞれの思い~

 11/11(金)に劇場公開された映画「駒田蒸留所へようこそ」を見てきました。ばらばらだった家族が「KOMA」というウイスキーを中心にして一つに結束していく様子に、非常に感動しました。この記事では、僕が特に好きだった作中の要素である「KOMA」(独楽)に込められた意味と家族のウイスキーへの思いについて、作中で印象的だった言葉とともに振り返ろうと思います。映画の内容のネタバレを含みますので、ご注意ください。

かっこいいウイスキーの写真(Ichiro's Malt CHICHIBU EDITION 2022)(*1)

KOMA(独楽)に込められた願いと作中での意味

蒸留液を長時間樽で貯蔵し熟成することで原酒ができる(*2)

作中でも何度も表されている通り、「KOMA」とは独楽を表します。この独楽が回る様子がこの物語では非常に重要でした。始めは大きな円を描くように、勢いはあるけれど危なっかしく転がり、描く円がだんだん小さくなっていって、やがて1つの場所に留まり安定して回り続けます。人とウイスキーがこの駒のような静止状態にあり続けてほしいという気持ちが、この物語に込められた願いであり、込められたメッセージだったと僕は思います。子供時代、独楽で遊んだ時、投げた後の独楽を見つめる自分は「このままずっと転がり続けていてほしい」という気持ちでいました。それは当然回り続けられる長さを友達と競っていたからでもありますが、独楽は回っている状態が一番美しいから、という理由も間違いなくありました(実際独楽に色を塗って回転している時に見える模様を楽しんだりもしました)。そういった「ずっとこのままであってほしい」という気持ちが人や物に向けられる様子がこの物語ではよく描かれています。

「この先、ずっと続いていくといいな」

 作中冒頭の「KOMA」を駒田蒸留所のみんなで飲む場面、「KOMA」を作り上げた先代である琉生のおじいちゃんの言葉です。家族で出来上がった「KOMA」の味を確かめながら、息子に自分のウイスキー作りを受け継げたことを確かめながら、孫が頼れる次世代としてウイスキー作りへやる気を見せている様子を見ながら、言った言葉です。自分の手で始めた「KOMA」蒸留所の永遠を願う気持ちが表れています。この言葉はこの作品最初の願いであり、物語の中で度々現れる願い、「物事を続けていくこと」への自分自身、家族、他人、集団、モノへの願いの始まりです。続けていくことへの願いは、1つの場所に留まって転がり続ける独楽を見つめる時の思い、ずっとこのままであってほしいという思いと共通しています。

「いいんじゃないの、必死にやった結果、俺はこの道に出会えたんだから」

 この言葉は、上司が紆余曲折を経てライターの仕事についた経緯を知った主人公・光太郎が「それでよかったんですか」と質問をした時の上司からの答えです。話は変わりますが、社会人を始めてまだ数年の自分からすると、仕事って永遠に続くのじゃないかと感じています。実際には永遠じゃないことは百も承知ではあるんですが、自分が今までやってきた仕事を振り返ってそれがこれから数十年続く事実を考えると絶望するし、あまりの道の長さに永遠という大それた言葉を使いたくなってしまいます。そんな自分の視点から見て、物語の中で光太郎に共感できる要素がたくさんありました。まず、任せた仕事に大した説明もしてこなずに「肝心な部分はプロに任せればいいから」と雑な渡し方をしてくるくせして先方から怒られたらこっちに責を押し付けてくる上司が許せないです。僕も曖昧な指示だけを与えてくる割に指摘だけはガンガンしてくる先輩に腹が立ち衝突した過去があります。(衝突した結果、正論でボコボコのバキバキにされて僕の業務態度を叩き直されましたが...。)加えて言うと、ウイスキーにちょっと興味を持って居酒屋にあったものを頼んでみてそれをエピソードとして話してみたらなぜか空気が悪くなる、これも正直光太郎からしたらうまくいかない、向いてないと感じる要因になるという心の動きにすごく共感できます。僕も自分が知らない過去の出来事を元に自分の意見を否定されると嫌な気持ちになったことがあるし、その時は「それなら知ってるやつらだけでやっとけよ」という拗ねた気持ちも少し沸いてきました。このように、全く同じような出来事が起きているわけではないですが、光太郎と同じで、僕も仕事を続けていく自信が持てない瞬間があります。自分から見たとき、自分は仕事に向いているとは決して思わないし、続けていくことで大事を成す自信は常に持てていません。
 しかし、自分ではない客観的な視点から見たときに、「必死に取り組んで、続けていくこと」はある種の美しさを持っています。自論ですが、1つの物に真剣に向き合ってそれを続けていける人は、向き合う対象が何であってもかっこいいです。必死に取り組んで、その結果行きついた場所でやれることをまた必死にやり続けるというのが上司の仕事に対する向き合い方で、そのあり方が持つある種の美しさ・カッコよさがこの「お仕事アニメ」が与える仕事についてのメッセージだと感じました。それは作中にある「物事を続けていくこと」への願いをこの作品を見た人に向けた形で、つまり作品自体が持っている仕事に取り組む人への願いなんだと、僕は思います。

「お前までKOMAを諦めなきゃいけないのか」

 「物事を続けていくこと」には内的な障害だけじゃなくて、外的な障害も多数あります。この言葉は、原酒を貯蔵・熟成している建物が燃えてしまい琉生が「KOMA」作りと駒田蒸留所を諦めなければならないほど追いつめられたときに、ベテラン職員である努から出た言葉です。何かを辞めたり諦めた人は作中に何度も出てきます。地震をきっかけとして「KOMA」作りを諦めてしまった琉生の父親、蒸留所を続けていくために美大を辞めた琉生、高校生から続けていたバンドを辞めてしまった光太郎の友人。ここまでで何度も書いた通りこの作品は「物事を続けていくこと」への願いを肯定的に描いた作品ですが、辞めたり諦めたりすることを否定的に書いている作品ではありません。光太郎の友人は、バンドを続けてきたおかげで、辞めてしまった後もそこで得た繋がりを活かして仕事で活躍できています。琉生美大を辞める代わりに蒸留所の社長として活躍し、絵の道を志した過去もテイスティングノートの記録という形で活かされて、その絵は光太郎の協力により「KOMA」のための原酒集めに大きく貢献しました。琉生の父親は、ウイスキー作りを諦めることで短期間ではあるものの蒸留所を守り、琉生の兄・圭に自分のテイスティングノートを託すことで、結果的に「KOMA」作りを受け継げました。これらに共通しているのは、辞めたことで得るものがあったということと、人との繋がりによって「続けてきたこと」が特別な価値を持ったということです。琉生が諦めなければならないほど追いつめられたこの局面でまた、「続けてきたこと」が価値を持ちます。従業員が、琉生の父親がウイスキー作りを諦めてまで守った従業員たちが、琉生を励ますのです。駒田蒸留所が駒田蒸留所でなくなってしまうのが嫌だ、「KOMA」の復活を諦めたくない、というのが従業員たちの思いでした。これは琉生の祖父の願いから始まった「物事を続けていくこと」の自分自身、家族、他人、集団、モノへの願いです。そうした思いを受けて琉生は一度は諦めかけた「KOMA」作りへの夢と蒸留所継続の意思を取り戻しました。
 辞めることや諦めることとまた始めることは、独楽に通じています。回る独楽に永遠を願えど、いつかは止まってしまう。子供時代に遊んでいた独楽もそうで、投げては止まり、投げては止まりの繰り返しでした。でも、止まってしまった独楽をもう一度回そうとするとき、これまでの経験をもとにもっと上手く回してできるだけ長く回るようにする。それが独楽という遊びの醍醐味であり、キャラクター達の在り方に投影されています。原酒からウイスキーを作るときもそうで、何度も繰り返しトライして、だんだん理想の味に近づけていく。独楽は伝統工芸であるがゆえに、継承の要素も持っていて(実際独楽で遊ぶ場面では琉生・父親の三人が描かれている)、それがテイスティングノートの継承と繋がっている。始めて、続けて、立ち止まる時もあって、でもまた始めたり誰かに託したりする。こういったあり方を物語の芯に置いていろいろなキャラクターに投影しているのがこの作品の凄いところで美しいところだと僕は思います。
 作品の最後で、琉生は「今回の「KOMA」は未来への約束だ」と言います。「KOMA」復活への物語はたくさんの人に支えられてきた道でした。「KOMA」のファンである光太郎の上司、原酒集めに協力してくれる他の蒸留所の人たち、クラウドファンディングで資金提供してくれた人たち、かつて交換した原酒を渡してくれた湖国酒造の社長、駒田蒸留所の従業員たち、光太郎と駒田一家。その人たちの心にあったのは「KOMA」を取り戻したいという気持ち、復活した「KOMA」を続けていってほしいという願いでした。そうした「願い」に「約束」で答える...素敵すぎると思いませんか?僕は思います。

駒田一家それぞれの蒸留所・ウイスキー・家族への思い

「どこから始めたとしても、なりたい姿さえわかっていればたどり着ける」

 これは、ウイスキー大手である桜盛酒造に入社するもののウイスキー生産には携われず営業職として働いている琉生の兄・圭の言葉です。琉生に駒田蒸留所の買収を持ちかける、いわゆる敵キャラの立ち位置の人物です。地震で大きな被害を受けたがゆえにウイスキー作りを諦めた父親に反発して家を飛び出た経緯もあり、その行動は琉生から見ると裏切り者に見えていました。ただ、は本当は父親の決断を尊重していて、「せめて従業員だけでも守りたい」と買収話を持ちかけてきたことがのちに明らかになります。最終的には従業員も駒田蒸留所が駒田蒸留所のままであることを望んでいるのを知り、買収話を取り下げました。
 は周囲から誤解されるキャラクターとして描かれているのですが、彼もまた琉生を誤解していました。琉生が美術を志していた過去を知っていたがゆえに、彼女がウイスキー作りに情熱や愛情をもって取り組んでいることを見抜けていなかったのです。彼が妹に対して頑なだったのは、自分が継ぐはずだった蒸留所を琉生に美術を諦めさせてまで継がせてしまった、という負い目もありました。そういった誤解や負い目が光太郎の記事によって解かれていきます。光太郎が桜盛酒造に記事についての謝罪に行ったときに、記事はほとんどが琉生自身の力による成果だと知り、嬉しそうにするが、僕はすごく好きです。
 「なりたい姿さえ見えていれば、どこから始めたとしてもたどり着ける」という言葉は、不器用ながらも真っすぐなの性格をよく表した言葉です。同時に、ウイスキー作りに通じるところがあります。作中でも描かれている通り、ウイスキーを作るにはたくさんの原酒から調合に使う原酒を選ぶところから始まり、組み合わせに工夫を重ねて作り上げていきます。原酒は作るたびに毎回違う味になります。つまり、スタート地点(原酒)が違ってもなりたい姿(「KOMA」)さえ分かっていればたどり着ける、という意味に繋がってきます。だからこの言葉は、最後に家族で「KOMA」を作り上げる場面につながる重要な言葉だと考えています。それをが言ってくれたのが、僕はすごく嬉しいです。

「お父さんはあなたを憎んでいると思った」

 これは、初めて買収話を持ち掛けた日以来母親に会っていなかったが父親から託されたテイスティングノートを持って実家を訪れる場面で、母親・澪緒に向かって言った言葉です。澪緒さんはお酒があまり強くない人で、経理の仕事をして夫の仕事を支えていました。琉生が蒸留所の社長になってからは、家で仕事を続けています。が持ちかけた買収話を最初に断ったのは、澪緒さんです。僕は買収話を断る澪緒さんを見たとき、なぜ断るのかが全く分かりませんでした。琉生とは違って、彼女はが駒田蒸留所の従業員を守りたいがゆえに買収の提案をしてきたことがわかるはずで、夫が従業員と蒸留所を守るためにウイスキー作りを諦めた事情も理解していたので、それだけ考えると、買収話を断る理由はないと考えていました。でも、澪緒さんがしたを呼び戻す提案を夫が断ったときに、夫が息子を憎んでいるんだと思ったのであれば、話は全く変わってきて、全てが腑に落ちます。夫がウイスキー作りを諦めてまで駒田蒸留所と従業員を守るために奮闘した数年間を寄り添い続けた澪緒さんからすれば、その夫が憎んでいたはずの相手にだけは絶対に駒田蒸留所を渡せなかったという気持ちがわかるからです。澪緒さんが息子を憎んではいないことは呼び戻す提案からも明らかで、極めて複雑な心情が推測できます。その心情を、蒸留所を1人で背負う琉生に伝えられるわけもなく、澪緒さんの話をすることすらできなくなっていました。父親がに託したノートから、その憎しみが誤解だったという真実がわかって、本当に良かったです。
 夫の気持ちに対する誤解が解けたあと、澪緒さんは「あなたたちが「KOMA」を作るというのであれば、私から何も言うことはない」と言ってノートをに返し、送り出します。ここの「何も言うことはない」は2つの意味を持っていて、子供たちを信じて送り出すという喜びと、自分はお酒が強くなくてウイスキーのことがわからないから何も言えないという寂しさがありました。しかし、琉生たちはお酒に詳しくない澪緒さんを蒸留所へ呼び、ウイスキーの試飲を頼みます。そのウイスキーを飲んだ母親の笑顔を見て、琉生たちは「KOMA」の完成を確信します。それは、父親が残したテイスティングノートに「母さんの笑顔を見て、今年もいい出来になったと確信する」と書かれていたからでした。澪緒さんは夫を支えられず死なせてしまったこと、生きている間もずっと夫のお酒作りを手伝えなかったことを後悔していました。しかしそれは誤解で、父親はウイスキー作りの最も重要な最後の部分を澪緒さんに託していました。これらの真実が分かってから映画を見返すと、冒頭の場面で琉生の父親は澪緒さんの笑顔を見て「いい出来だ」って言っているのが確認できます。しかも自分で飲む前に澪緒さんの顔を見て出来を確かめています。その後に同じ場面が描かれたときでも、父親はずっと澪緒さんの方を向いて座っているし、ちらちらと様子を伺っています。本当に...夫婦の絆が素敵すぎて...大好きです。

「お母さん、KOMAができたよ」

 これは、完成した「KOMA」を飲んだ母親の笑顔を見た琉生の言葉です。
 最初、琉生は23歳で蒸留所の社長になってから1年で新しいウイスキーを作りヒットさせた才能あふれる人物として現れます。蒸留所への取材でも、他の蒸留所の人に褒められるほどの知識やウイスキー作りへの情熱を見せています。しかし一方で、ウイスキーを語るときは楽しそうな姿を見せたり、が勤める桜盛酒造の名前を出されるのを嫌がってムッとしたり、幼馴染を愛称で呼んでしまったり、年相応の一面も見せていました。特に歳が近い光太郎には不満を感じる瞬間が多く、彼に秘密を暴かれてしまったのがきっかけで、それが爆発してしまいます。個人的には、光太郎にも琉生にも共感できるので、この喧嘩が大好きです。光太郎は掃除1つまともにできないくせに不満気なのが腹が立つし、琉生美大を辞めて社長になってから一年で成功している物語性と完璧さゆえに自分の近くにいれば嫌になると思います。喧嘩によって本音をぶつけたことが、光太郎琉生に共感を抱き人柄を知っていくきっかけになったように、僕の中にも琉生のへ共感を生んだのが、この喧嘩が好きな理由です。
 琉生が「KOMA」を復活させようとしていたのは、冒頭の場面で駒田一家のみんな・琉生が家族のように感じている駒田蒸留所の従業員たちとともに「KOMA」を囲んで飲んだあの時間、それそのものを取り戻したかったからでした。琉生にとってその時間は、家族みんなが1つになり幸せを感じている時間であり、自分が楽しく絵を描いている時間でもありました。美大でのスケッチで他人の絵が鮮やかに見えてしまう場面や琉生がそのスケッチで使っていたキャンバスを黒塗りにしてしまったことからも分かる通り、琉生美大で挫折を味わいました。そして押し入れにしまってある封を開けられていない段ボールと裏返しのキャンバスから、未だ自らの絵にちゃんと向き合えていないことがわかります。これは自らのテイスティングノートに描いた絵を秘密にしていたこと、その絵を見た光太郎から「さすが美大」と言われたときに不快感を表したこととも繋がっています。「KOMA」復活の過程で、父親から受け継いだノートをきっかけに、美大を辞めて地元に戻ってきて以来一度も開けていなかった段ボールを開きました。そのスケッチブックには、「KOMA」を飲んだ母親の笑顔とその笑顔を見て幸せそうな父親が描かれていました。「KOMA」復活へ最後の要素であった母親の笑顔をきっかけとして、あの時間に自分が描いた絵に再び巡り合えたのです。琉生は自分が楽しく絵を描いている時間、つまり、絵に対する気持ちを取り戻せたのだと思います。「お母さん、KOMAができたよ」という言葉は、「取り戻せたよ」という意味でもあり、琉生の蒸留所を継ぐ決断を真に肯定する言葉に思えて、大好きです。

おわりに

ここまで読んでいただきありがとうございました。この記事に書きたかった感想は全て書ききれましたが、作品としてはまだまだ語り足りない部分が多いです。トモちゃんの話も全然できてないし...。そのあたりはX(旧Twitter)だったり、風呂入ってるときに天井に向かってつぶやいたりして発散しようかな。お酒を飲んで語らせてくれる、もしくは語りを聞かせてくれる方がいればご連絡ください。なお当方は下戸です(お酒は好きです)。下戸にも優しいウイスキーアニメで良かったです。
この記事を書くにあたり、友人に頼んで写真を提供してもらいました。感謝。サムネにも使ってるあのかっこいい写真はウイスキーが大好きな友人Aからもらった写真です。頭と締めを統一する形で、お酒とタバコが大好きな友人Bからもらった写真を載せてこの記事を終わりにします。重ねてになりますが、ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。

かっこいいウイスキーの写真2(*3)


*1 提供:みあ(@_MEER_KATT_)
*2 鹿児島県南さつま市 マルス津貫蒸留所で撮影
*3 提供:鶏肉(@rekishi_tori)